6月10日〜
6月10日
 東京は入梅したとのこと。東京が入梅すると本来なら小笠原は梅雨明けの夏日がやってくるのです。でも前線が下がって来てしまいお天気はいいのですが全体的にもやがかかっています。船客待合所前もなんだか煙にいぶされているような視界です。乳房山に登った人は真っ白な風景を見て「南の島の雪景色」を味わったことでしょう。
 今晩は森林生態系保護地区住民説明会が開催されます。生態系を保護し外来種が入る前の状態に戻す為にはどうすべきかを住民と話し合う会です。保護と利用についての意見統一は難しい問題ですが私たちが住んでいる島をどのように守っていくのかを考えていくのは、住んでいる者の義務でもあります。でも外来種が入る前の状態に戻すことって可能なのでしょうか。入れるのはたやすいのですが元の状態に戻すのは不可能というくらい大変です。この島ではそのことがよく分かります。ガラスのような生態系です。だからこそ島で暮らすことへの意識が大切なのでしょう。
6月11日
 本日はおが丸の出港日だというのに、母島行きのゆり丸(はは丸ドック中の代船で今便が最後のお仕事)はとても賑やか。それもそのはず、今日から2泊3日の日程で小笠原中学校(父島)の皆さんが移動教室で遣って来ました。中学一年生の生徒さんたちなのですが、その数なんと24名。勿論その人数の”多さ”にビックリです。なんたって母島の中学一年生はたったの3名。中学校生全体でも7名しかいません。本日午後には母島小中学校を表敬訪問されたそうですが、母島の生徒さんたちも人数の多さにきっとビックリしたことでしょう。
 明日はガイドさんを伴って石門に出掛けられるそうです。なかなか安定しない天気が続いていますが、今日の午後のようにスカッと晴れた青空の下、楽しい思い出を沢山作ってもらえればと思います。
6月12日
 うん?母島観光協会でDoCoMoの宣伝か??
いえいえ違います。皆さん小笠原では携帯電話はDoCoMoのmovaのみ、しかもi-modeは使えない通話サービスのみだったことをご存知ですか?そのため竹芝行きのおが丸ではi-modeサービス圏内に入った途端、乗客が一斉にデッキに出て来て溜まったメールをチェックをするのが恒例行事となっていました。
 しかし、そんな小笠原にもとうとう文化の波が押し寄せてきました。6月8日よりFOMA(FOMAプラスエリア)解禁です。これによりメールは当然のこと、何とTV電話まで可能になりました。これで内地ともタイムラグのない情報交換が可能になり嬉しい限りです。っが、下を向いてパチパチとメール打ちに没頭する姿がこれから日常的な光景になることを想像すると複雑な心境であることも事実です。
6月13日
 ボゥ〜!ボゥ〜! 明らかに昨日までのものとは音色の違う低い霧笛と共にはは丸が帰ってきました。わずか1ヶ月弱見なかっただけなのになんだか妙に懐かしく、思わず「おかえり」と呟いてしまいました。ドック中に外装も上塗りされたようで、白い船体が以前にも増して瑠璃色の海と深い緑色に映えています。
 実はこのはは丸、就航から既に14年が経過しており、今年3月に行われた村議会では一般質問の中で新造船への代替について質疑応答がされたそうです。現時点では十分なメンテナンスを行うことで船齢24年までは運航可能との見解だそうですが、今度、化粧直しをしてもらい若返った?彼女を眺めているとまだまだ活躍してくれるのではと思ったりしてしまいます。
6月14日
 今年は見かけないと思っていたツルナが観光協会のごみ集積場に生えているのを発見。ここ3〜4年、春には黄緑色の美味しそうな葉を船客待合所付近で多く見かけていました。ニュージーランドホウレンソウとも言い茹でてもスープに入れても美味しい葉で、草喰いマニアには好評です。もともと灰汁が強いのですが、写真のように花がついてしまうと灰汁が強すぎていただけません。そういえば今年の春はサラダにしても美味しいノゲシも見かけませんでした。内地からの土に混ざって繁殖した雑草はいつの間にか消えていきます。このように自然に消えてしまえばいいのですがなかなかしぶとくクリノイガのように勢力を延ばしている者達もいます。しかも食べられない!?のでもっと困り者です。
6月15日
 ここ最近、母島では内地の方には申し訳ないほどの晴天が続いています。そんな中、今朝ははは丸が超凪状態の沖港に霧笛も鳴らさず入港してきました。「おかしいな、何時もなら霧笛を軽快に響かせながら遣ってくるのに・・・」と考えていて気付きました。今日のはは丸はチャーター便だったのです。チャーター主は小笠原村。チャーター目的は硫黄島墓参ツアーに参加する母島島民11名を同ツアーの出発地である父島に運ぶためです。
 毎年この時期に行われる硫黄島墓参ツアーですが、今年は総勢136名の参加者がこれまたチャーターされたおが丸で硫黄島を目指します。普段は上陸が許されない硫黄島に行けるのですが、ツアー目的が戦没者遺族による年に一度の墓参のため、残念ながら一般の参加は出来ません。それでも、どうしても硫黄島に行ってみたい方、今年11月に企画されている小笠原海運主催のツアーにご参加下さい。上陸こそ出来ませんが、普段観ることの出来ない南硫黄島、硫黄島、北硫黄島を間近に観ることができます。
6月16日
 「なにやら巨大な郵便ポストが運ばれてきたぞ」と興味津々で近づいてみると『移動式火薬庫』や『火気厳禁』などなんとも厳つい文字が近寄る者をけん制しています。更に写真には写っていませんが、撮影者の脇は警察官がピタリとマークしています。「これはなんぞのことぞ?」と、これまた厳つい人相のおじ様に事情を聞いてみると無言のまま空を見上げます。「?」マークが頭の中に整列したころ、心優しい警察官が教えてくれました。返還祭の時に打ち上げられる花火だそうです。
 もうそんな時期だったんですね。 勿論、6月23日便は島内全宿が満員御礼です。幸運にも宿泊先を確保された方々にとっては1年で最も盛り上がる母島の夜に向け、そろそろワクワク度アップの時期ですね。
6月17日
 今日入港のははじま丸にピカピカの救急車が載っているではありませんか。新車の救急車、しばらく船客待合所の前に止められました。中には酸素吸入器などが備え付けられている様子。今までの救急車はもうボロボロでしたものね。これで救急患者もスムースに、そしてスピーディーに運べることでしょう。子ども達も喜んでいますが、君たち、救急車はかっこよくて乗りたいだろうけど出来ればお世話にならないようにしてね。
 離島では救急医療が問題になりますが、幸いなことに母島では、今まで救急体制の不備が原因で最悪の事態になったということは起きていません。ヘリコプター輸送による救急体制のお陰と運の良さでしょうか。更に今日から助っ人が来ました。新しい救急車!頑張れ!
6月18日
 24・25日に開催される返還祭の一環として様々なスポーツ大会が行われています。今日は午前中ゲートボール大会夕方から駅伝大会が開催されました。6人1チームで11チームが参加。集落をひとり1Km走ります。皆、普段走っていない足を慣らすために何日か前から練習に励んでいました。個人記録賞やチーム賞など入賞した人は返還祭当日に表彰されますが、記録を出すことや入賞することよりチームでの練習そのものが楽しかったようです。後のビールもうまい!
 島民の多くが道に並び、頑張れ!のかけ声で応援しています。
小学生から50代までの出場者全員がいい汗を流していました。
 お疲れさま!
6月19日
 6月15日〜18日にかけて硫黄島への訪島事業があり、硫黄島旧島民や一般参加の小笠原村民、父・母両島の中学生などが参加し慰霊祭が行われました。
第二次世界大戦で米軍との激戦区として知られる硫黄島。圧倒的な数の米軍に対抗する為地下に18kmにも及ぶ坑道(壕)を掘り、そこに立てこもって持久戦を行う作戦を取りました。その為、この島には今尚発見のされていない遺体が数多く埋まっており、発掘作業が続けられています。
写真は摺鉢山で戦闘の中心となった所です。海側からのすさまじい砲撃により、「ソフトクリームが溶けるように」崩れて行ったそうです。

 もう二度とこのような戦争を起こさない事と、1日も早く全ての遺体が見つかり、ご家族の下へ帰られることを心から願います。